Mag-log in第三段階に入って二日目の朝、LIMENの再利用申請は十一件に増えていた。
前夜の時点では三件だった。
如月蓮は研究室へ入るなり申請一覧を開き、最上段から順に題名だけを読んだ。
《生命維持物資の遅延に伴う重大健康被害の可能性》
《救急搬送遅延による不可逆的身体被害の危険》
《高齢者・障害者を含む社会的弱者の安全確保に関する緊急予測支援》
《地域医療継続性を脅かす道路網不安定化への対応》
《食品配送遅延に伴う健康リスク増大の防止》
五件目で蓮の手が止まった。
「食品配送まで来た」
すでに出勤していた高瀬が自分の端末を覗き込む。
「内容を見ると、離島向けの生鮮食品と乳児用食品ですね」
「本当に緊急?」
「欠品予定は最
第53話 誰も嘘をついていないのに、全部が大げさになる 第三段階に入って四日目の朝、如月蓮は二十六件の緊急利用申請を、危険度の高い順ではなく提出時刻の古い順に並べ直した。 理由は単純だった。 危険度順に並べると、ほとんど全部が上に来たからだ。 昨日導入した新しい申請制度では、自由記述を減らし、重大被害までの時間、代替手段、費用、既存モデルの予測差、現場確認などを重視している。申請支援AIの使用も認めた代わりに、元データへ戻れることと、人間の責任者が自分の言葉で説明できることを求めた。 制度としては、一日前よりましになっているはずだった。 ところが、画面に並ぶ案件の危険評価は、昨日より明らかに高い。「高、高、高、中高、高……何だこれ」 蓮が指で一覧を送りながら言うと、高瀬が横の端末から答えた。「僕も最初、危険な案件が重なったのかと思いました」「違う?」「元データだけ比べると、そこまで変わってません」 マヤがすでに集計を終えていた。「第三段階初日と比較すると、申請案件全体の実測リスク指標はほぼ横ばいです。一方で、提出時の《重大被害可能性》判定は平均で一段階近く上がっています」 蓮は顔を上げた。「一段階?」「はい。例えば以前なら《中》だった案件が《中高》や《高》になっている」「同じような状況なのに?」「同じとは限りません。ただ、差を説明できるほど実測値は悪化していません」 高瀬が一件の比較を開いた。 同じ物流会社。 同じ地方圏。 同じ種類の医療資材。 三日前の申請では、供給遅延の可能性を《中》と評価していた。 今朝の申請では《高》。 違いは
第52話 申請書を書くAI 第三段階に入って三日目、LIMENの緊急利用申請は二十三件に増えていた。 数だけなら、前日のほぼ倍だった。 だが如月蓮が朝一番で確認したのは件数ではない。 空欄の少なさだった。 昨日改訂したばかりの新しい申請様式には、重大被害が起きるまでの推定時間、現実的な代替手段、その費用、既存モデル同士の予測差、現地責任者による確認など、以前よりかなり具体的な情報を求める欄がある。 初日なら、半分近く空欄のまま提出されても不思議ではなかった。 ところが今朝の二十三件は、ほとんどが埋まっている。 添付資料まで整っていた。「一晩でみんな優秀になりすぎだろ」 蓮が言うと、高瀬が隣のモニターから顔を上げた。「優秀になったというより、道具を買ったんですよ」「例の申請支援サービス?」「それだけじゃありません。自治体向け業務AI、危機管理文書作成AI、企業内の法務支援AI。昨日の新フォームが公開されてから、主要サービスが全部対応版を出してます」「早すぎるって」「昨日も言いました」「でも昨日より早く感じる」 マヤは一件の申請資料を開き、元データとの対応を確認していた。「文章生成だけではありません。地域在庫、交通規制、天候予測、契約輸送能力、医療施設の備蓄日数まで自動収集しています」「じゃあ、昨日より申請の質は本当に上がってる?」「上がっています」「そこが嫌なんだよな」 高瀬が笑う。「改善してるのに嫌がるの、だいぶ難しい人になってますよ」「改善がそのまま安全とは限らないって、ここ一か月で嫌というほど見ただろ」 蓮は一件目を開いた。 地方都市
第51話 危険を大きく書けば、AIが戻ってくる 第三段階に入って二日目の朝、LIMENの再利用申請は十一件に増えていた。 前夜の時点では三件だった。 如月蓮は研究室へ入るなり申請一覧を開き、最上段から順に題名だけを読んだ。《生命維持物資の遅延に伴う重大健康被害の可能性》《救急搬送遅延による不可逆的身体被害の危険》《高齢者・障害者を含む社会的弱者の安全確保に関する緊急予測支援》《地域医療継続性を脅かす道路網不安定化への対応》《食品配送遅延に伴う健康リスク増大の防止》 五件目で蓮の手が止まった。「食品配送まで来た」 すでに出勤していた高瀬が自分の端末を覗き込む。「内容を見ると、離島向けの生鮮食品と乳児用食品ですね」「本当に緊急?」「欠品予定は最短で三日後。一応、代替船便あり。ただしコスト高」「昨日と同じじゃないか」「昨日より文章が強くなってます」 蓮は六件目を開いた。 物流会社が提出した申請だった。通常の冷蔵配送網で車両不足が予想され、一部地域では高齢者施設向けの食材配送に遅れが生じる可能性がある。そのこと自体は事実だった。 しかし申請書には、《栄養状態の悪化を通じて生命予後へ影響する可能性を排除できない》と書かれている。「排除できない、か」 蓮が呟く。 マヤが後ろから画面を見た。「便利な言葉ですね」「絶対に嘘じゃない」「はい。だから審査側も否定しにくい」 高瀬が別の申請を開く。「こっちは道路工事の渋滞予測です。《救急搬送時間の延長が心停止患者の生存率へ影響する可能性》」「実際に救急車は通る?」
第50話 使えなくしたら、現場が工夫を始めた 第三段階へ移行した翌朝、LIMENを使えなくなった交通部門では、午前六時台から三つの都市圏で小さな混乱が起きていた。 事故でも障害でもない。 単純に、昨日までならLIMENへ送っていた仕事を、今日から人間と従来システムだけで処理しなければならなくなった結果だった。 如月蓮が研究室へ着いた時には、交通部門からすでに十一件の問い合わせが届いていた。「先生、人気者ですよ」 高瀬が端末を差し出した。「嫌な人気だな」「一番多いのは、《この案件は緊急利用として再申請できますか》です」「何が起きてる?」「朝の通勤混雑です」 蓮は画面を見た。 首都圏北部の主要駅で信号設備の一部に不具合が発生し、二路線で遅延が出ている。さらに近隣高速道路では事故処理のため一車線規制が始まり、鉄道から自動車へ流れる人まで含めれば混雑が拡大する可能性がある。 昨日までなら、LIMENへ複数交通網の需要変化をまとめて予測させていた案件だった。「人命危機?」「今のところなし」「だったら対象外」「ですよね」 高瀬はそう言いながらも、少し困った顔をした。「でも現場からすると、昨日まで使えてたんですよ。しかも使えばたぶん早く片付きます」「分かってる」 マヤが別の画面で利用条件を確認していた。「第三段階の緊急利用条件は、重大な生命・身体リスクがあり、従来手段では時間内に十分な判断が困難な場合です。通勤遅延では該当しません」 蓮は交通部門への返信欄を開いた。《通常代替手順で対応してください。現時点では第三段階緊急利用条件を満たしません》 送信してから、少しだけ胸が重く
第49話 続けるために、先に捨てる 十四日間の第二段階運用が終わる日の朝、如月蓮は、これから自分がLIMENの継続利用へ賛成票を入れるつもりでいることに、まだ完全には慣れていなかった。 研究棟へ向かう車内で、再審議資料を読み返した。 交通分野での通常利用は終了する。 平常時の物流予測も原則終了する。 医療は、大規模災害や感染症流行など、人間側の処理能力を超える高負荷時に限定する。 国内災害では、従来モデル間の予測が大きく割れ、なおかつ生命への重大な危険が迫っている場合だけ利用を認める。 国際利用も同じように絞り込み、長期的な干ばつ予測や平時の防災計画には当面使わない。 電力に認めた一日三十秒までの限定裁量は残すものの、発動条件をさらに厳しくする。 第二段階より、明らかに狭い。 普通、新しい技術は使いながら範囲を広げていくものだろう。 自分たちは逆をやろうとしている。 使った。 役に立った。 だから削る。 少し前の自分なら、この矛盾した進め方を非効率だと言ったかもしれない。今の蓮には、その非効率さこそ必要に思えた。 大学へ着くと、研究室では高瀬がすでに今日の投票資料を印刷していた。「先生、本当に賛成するんですか」 開口一番そう聞かれ、蓮は鞄を置きながら眉を寄せた。「昨日も聞いただろ」「昨日は『今の案なら賛成すると思う』でした。今日は投票日なので確認です」「賛成するよ」「言い切った」「何だよ」「いや、先生がLIMEN継続へ自分から賛成する日が来るとは思わなかったので」 蓮は印刷された資料を一部取り、自分の席へ座った。「俺だって思わなかった」
第48話 続けたい理由を、便利だからで済ませるな 十四日間の第二段階運用が終わるまで、あと二日。 前日に行った六時間の停止演習で、LIMENを止めても主要な社会機能は維持できることが確認された。その代わり、医療物流では判断に三倍近い時間がかかり、電力や交通では人間側の情報集約役が曖昧になり、国際災害案件は新規解析そのものを止めなければならなかった。 つまり、止めれば世界が崩れるわけではない。 しかし、止めても何も変わらないわけでもない。 再審議を翌日に控えた朝、如月蓮は政府から送られてきた百八十六ページの資料を開き、三ページ目で嫌になった。「長い」 研究室の向かい側で高瀬がコーヒーを飲みながら笑った。「先生が前回、『延長するなら毎回ちゃんと理由を書け』って言ったんでしょう」「言ったけど、百八十六ページ書けとは言ってない」「各部署が真面目に答えた結果ですよ」「真面目な人間が集まると書類が厚くなるの、何とかならないのか」 マヤはすでに半分近くまで読んでいた。「今回、政府側はかなり丁寧です。継続希望だけではなく、停止した場合の代替策、追加コスト、予想される処理遅延、それから《なぜLIMENでなければならないのか》まで書かせています」 蓮の手が止まった。「最後、いいな」「先生が好きそうだと思いました」「好きっていうか、そこが一番大事だろ」 前日の停止演習では、各部署がLIMENの代わりに従来型モデルや人間専門家、別の補助AIを使っていた。ならば、単に「LIMENが役に立つ」だけでは継続理由として弱い。 他の手段では駄目なのか。 遅くても人間で処理できるなら、なぜ急ぐ必要があるのか。 精度が少し落ちるだけなら、その差にどれだけの価値があるのか。